Sophie Charlotte von Preussen

 

Senn  Rolf  Thomas,2000,

Böhlaus Nachfolger.

 

Die preußischen Königinnen

 

Feuerstein-Praßer, Karin

  

2003,Piper.

 

   Königin Luise und Friedrich Wilhelm III

   

 Gersdorff, Dagmar  
2003  RORORO.

 

Ein Stern in Wetterwolken

 Königin Luise von Preußen

 

  Ohff, Heinz
 Piper;2006.

 

 Preußens Luise      

  Vom Entstehen und Vergehen einer Legende.

 
 
Bruyn, Günter
2004  btb.

 

 

Luise von Preußen: Königin der Herzen

  Daniel Schönpflug 

C.H. Beck

 

2010

 

 

Luise, Die Kleider der Königin

 

2010

 

Hirmer

 

 

 

 

Friederike von Preußen: Die leidenschaftliche Schwester der Königin Luise

 

Carolin phillipps

 

 

2008,Piper

 

DER  PRUSISCHE  APOLL  PRINZ  LOUIS  FERDINAND

1772-1806  

 

Uwe.A.Oster

Rustet. Regensburg,2003

 

 

 LOUIS  FERDINAND  Das Leben des   Preusischen Prinzen

 

Burkhard Nadolny  

2006 Piper

 

 

Die Weisse Rose Preussens 

das leben der charlotte von preussen

 

Sabine Shenkel

2008  Books on Demand

 


Die Preussin auf dem Zarenthron: Alexandra Kaiserin von Russland

 

Marianna Butenschoen

2012 piper

 

ちなみにこの上の伝記の題名の、プロイセン王妃ルイーゼの長女シャルロッテ・フォン・プロイセンとこの下の伝記の、ニコライ一世の妻でアレクサンドル二世の母のロシア皇后アレクサンドラ・フョードロヴナとは、同一人物です。

ロシア正教に改宗すると皇后達は皆、ロシア名に改名することになっているので、こういうロシア風の名前になっていますが。

 

 

 

ドイツ史

初版世界各国史13

3675円

木村靖二

山川出版社

 2001年

 

 多民族国家プロイセンの夢 名古屋大学出版会

今野元 2009年

7770円

 

 50のドラマで知るドイツの歴史

  3500円

マインツ・マイ

 

 ミネルヴァ書房

2013年

 

これまで、通史というと、長年に渡り小国分裂状態にあった事もあり、日本では扱いずらいと思われやすいのか、ドイツ帝国前後の近代・現代ばかりが、重点的に扱われやすい感じですし。また、君主ら支配者層の個別の人物について、その人物そのものについて詳しく言及している書籍も、非常に少なく、(せいぜい、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世、フリードリヒ大王、ビスマルク等くらいですよね。)わかりずらい印象が強いドイツ史ですが。(実際に、日本人の関心も、専らこの前後に集中しやすいようですし。)

しかしこの書籍は、実際にドイツの若者達に使用されているものとの事で、よりドイツ史の書籍としては興味深く、また資料的価値は高いのではないかと思います。

 

 

 

当時、いまだ無数の小国に分裂し、統一された近代国家誕生の時代を迎えておらず、

フランスのナポレオンの脅威の前に震撼し、ドイツとしてのアイディンティティー及び、国家としての実際の存在的にも、存亡の危機に晒されていた、当時のドイツ諸国。しかし、これまで日本では専らフランス側の視点でばかり語られがちであった、この「ナポレオン戦争」の時代についても、ドイツ側の視点かつ、この書籍中の「ドイツとフランスの確執、そして戦いへ」という章題の中で、このようにわかりずらい通史のこの項目を、これまでの本より詳しく紹介している感じであり、良いと思います。(他の時代についても、そうですが。)

 

 

 

ラーエル・ファルンハーゲン

ハンナ・アーレント

6300円

1999年

みすず書房

プロイセン王子ルイ・フェルディナントの友人で、ドイツ・ロマン派の女性作家であり、当時のプロイセンの有名なサロン主催者でもあった、ラーエル・ファルンハーゲンの伝記。

 

 

 

ベルリン・サロン―ヘンリエッテ・ヘルツ

回想録 2006年 中央大学出版部

1995円

 

ベルリンサロン

ペートラ・ヴィルヘルミー=ドリンガー

6090円

2003年

鳥影社

 

 

当時の数多くの著名なサロン主催者達(この本の中では、「サロニエール」と呼ばれている。)及び彼女達のサロンの紹介。

またベルリンサロン成立の歴史及び、

各サロンの特徴、そして各サロンの当時の社会・政治情勢との関わり、サロンが果たしていた、様々な文化的・政治的機能など、またサロンがしだいに当時の歴史・社会状況により、その性質・機能を変貌させていく過程なども、詳細に説明されています。

本書の「序章」の中で、べルリンのサロンについて、「1780年ごろ最初のサロンがベルリンに生まれた後は、サロン文化はこのプロイセンの首都で急速な発展をとげた。このような社交的集いに対してベルリンは十八世紀末の極めて短期間に、まだ若いサロンの中で重要な文化的生活を展開させ、ヨーロッパ一流のサロン都市へと昇り詰めたのだ。」という解説があります。そして実際に本書を読んでみても、実に多様多彩な種類のサロンが、当時のベルリンに存在していたかがわかります。プロイセンは、これまでの、他のヨーロッパ諸国と比べて、ロクな文化や思想のない、無骨な軍事国家という、一面的な見方も、払拭してくれる一冊です。

 

 

 

そして、このサイトで紹介している、プロイセン王家の女性達の中では、ベルリンサロン前史の重要人物として、ゾフィー・シャルロッテ王妃、そして当時のサロンで理想的な人物とされていた、ルイーゼ王妃、そして実際にベルリンサロンを主催していた女性の一人として、ラジヴィウ侯爵夫人ルイーゼ・フリーデリーケが、取り上げられています。

 このように、いろいろと興味深く、勉強になる本なのですが、巻末の、当時のサロン主催者達の人物紹介の、クールラント公妃ドロテアの箇所の中で、1779年の結婚の翌年の、 1780年に彼女の夫のペーター・フォン・ビロンが死去した事になっている誤りが、 気になります。実際は、彼女の夫が死去したのは1800年。

クールラント公妃の夫のペーターが結婚した

翌年に死去しているのなら、彼ら夫婦の娘は長女ヴィルヘルミーネだけのはずなのに、本の中で末娘のドロテアがとも書かれており、 すでにこの本の記述の中でも、辻褄が合わなくなっています。

(彼ら夫妻には4人の娘がいた。)

1779年と1799年を勘違いしたのでしょうか?どうも、翻訳前の原書自体の記述から、まちがっていた可能性があり。

 

 

「ヴェルサイユの異端公妃リーゼロッテ・フォン・デァ・プファルツ」

 

宮本絢子

 

鳥影社

 

 

「巨人」

ジャン・パウル

9240円

国書刊行会

 

 

メクレンブルク公女の、シャルロッテ、テレーゼ、ルイーゼ、フリーデリーケ達四姉妹に捧げられたという、 ドイツ・ロマン派の作家ジャン・パウルの傑作。

序文に、四姉妹をアグライア、エウフロシュネ、アフロディーテ、タレイアなど、ギリシャ神話の女神に例えて叙述している文章があります。

 

 

中公文庫 クラウゼヴィッツ『戦争論』の誕生

 ピーター・パレット

 

 

中央公論新社

2005年

2005年に、「中公文庫BiBRO」として再版されたようですが、残念ながらまた絶版になってしまったようです。

それでなくても、プロイセンの人物関連の

本が少ないので、淋しい現状です。

それに、この本も日本では数少ない、ルイ・フェルディナントにも言及されている

内容だったのに。

 ただ、やはりこの本も訳の古さ、不適切な箇所が気になります。「カロライン・フォン・ベルク 」とか、「ルイゼ皇后」とか。

系図も、みんな人名が英語読みで違和感があるし、女性達の名前も、フルネームで書かれていないため、「ルイゼ」という名前の女性が、四人もいて、わかりずらいです。 

また、ルイ・フェルディナントの姉のルイーゼ・フリーデリーケが、この本でも、系図と本文の中で、妹としてまちがわれて書かれています。

 

 

また「作品解説」の中でも、「フリードリヒ大王の末弟ルイ・フェルディナント公」と、またまちがいが見られます。

ルイ・フェルディナントの父親の、アウグスト・フェルディナントと混同しているのでしょうか?それに、ルイ・フェルディナントに対する著者の評価が低い感じなのもひっかかります。あのクラウゼヴィッツが「第二のコンデ公の役割を果たす才能の持ち主だった」と称賛している人物なんですが。

それに、「破局を迎えたプロイセン」という論文の中でも、他の人物とは桁違いに詳しく書いているじゃないですか。

 

 

 

クラウゼヴィッツのナポレオン戦争従軍記

クラウゼヴィッツ

2200円

2008年

ビイング・ネット・プレス

 

 

 

孫子と並び称されると言われる、クラウゼヴィッツの、彼が参加したナポレオン戦争に関する書簡及びロシア遠征、そして上官として敬愛していたシャルンホルストに関する論文が収録されています。

やはり、戦争に参加していた本人の記述という事で、臨場感があります。

日本では、ナポレオン戦争に関して、専らフランス側の書籍ばかりで、ほとんど単独でのプロイセン側の書籍が乏しい状況なので、このような書籍は貴重だと思います。

 

 

ただ、翻訳者が高齢の人のためか、訳文が古くてやや不適切な感じが気になります。ルイ・フェルディナントは、「ルートヴィヒ・フェルディナント親王」になっていたり。

それから、日本での数少ないプロイセン関連の人物に言及した書籍には、ありがちなまちがいですが、57ページにおかしな記述が。

「プロイセン国王の兄弟は国王に従って戦われました。アウグスト親王もその一人です。この親王はフェルディナント親王の子息で、長らく陸軍におられた王族の一人です。」

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ハインリヒ・アウグスト王子にとって、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世は兄弟ではなく、従兄弟で前プロイセン国王だった、フリードリヒ・ヴィルヘルム二世の子供。

 

 

 

 

それから、この本の中では余談的な箇所ですが、以下の、1815年のワーテルローの戦いの時に、連合国各軍の総司令部が置かれた

フランス王室の狩猟用御用邸の、ナポレオンがマリー・ルイーズのために改装した、彼女の寝室や浴室の様子、そしてそれに対する

クラウゼヴィッツの報告が面白かったです。

 「1815年7月7日・・・・・・オワーズ河畔のコンピエーニュに向かう。ここは、連合軍各国君主の総司令部が置かれたフランス王室の狩猟用御用邸がある。これを、ナポレオンがマリー・ルイーズと結婚したとき改装したが、私は、これほど立派な御用邸をこれまで見たことがない。

すべて鏡の壁で囲まれた寝室や浴室は、マリー・ルイーズがけっして高尚で純粋な趣味の持主ではなかったことを示している。

―すべてに官能と柔軟な華麗さが感じられる。」

 

 

 

ナポレオンがエルバ島に流されている間に、

ナイペルク伯と不倫関係になっていたマリー・ルイーズってやはり・・・という感じです。クラウゼヴィッツという、外国人で、しかも、こういう冷静で客観的な人物の何気ない報告なので、一層説得力があります。

 どうやらマリー・ルイーズって、ハプスブルク家の深窓のお姫様にしては、性的なことに開放的で、むしろどちらかというと、セックス好きの方だったような感じですね。(もっとも、そういう性的嗜好って、出自にも関係ないのかもしれませんが。)

人間の性格って、こういう室内の装飾の趣味などにも、現われるんですね。