フリードリヒ・ウィルヘルム三世は、彼の妻の30歳の誕生日から間もない、1806年3月5日には、新たに閣僚を任命し、そして現在の「王妃」という、プロイセン軍の近衛連隊が、「王妃の第五竜騎兵連隊」として、割り当てられ、王妃ルイーゼは、そこの隊長となった。そして1806年の秋の、プロイセンのフランスへの宣戦布告の後、王妃ルィーゼは、騎兵連隊を迎えた。
そして、この連隊は王妃と他の軍隊と共に、ベルリンを通過して野原に行進していった。9月18日の、軍隊行進の時には、すでに彼ら連隊の制服スタイルで乗馬行進用の軍服を、用意する事ができた。
そして10月10日のアウエルシュテットの戦いの前に、彼ら国王夫妻は、エアフルトへと向かった。
この王妃ルイーゼの行進用軍服のデザインは、プロイセン軍の色であるブルーに、襟は赤と白のストライプ。そして上着の主要部分はブルーのスペンサージャケットで、それぞれ胸元の右側と左側には、いくつもの銀色の飾りボタンが付いていた。
袖口は、赤であり、その部分と服の後ろの腰の部分にも、飾りボタンが付いていた。
ベルリンの「ホテル・デ・ローマ」にある、当時の雑誌によると、国王フリードリヒ・ウィルヘルム三世主導で、その服は制作されたという。 元々、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世自身が、プロイセン軍の軍服のデザインについては、強い関心を持っていた。
そして軍服の詳細の草案は、彼が好きな事の一つだった。彼はこの方面において、なかなかの才能とセンスに、恵まれていた。
このような背景があったため、妻も自分と同じファッショナブルな軍服を、着用してくれる事に、賛成だったのである。
彼は、将兵達と共に、ファッショナブルな国王に変化していった。
彼の治世の最初の八年間で、特に彼の軍服のデザインの改良の影響が、感じられる。
国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世により、近衛大隊と第十五歩兵連の軍服が、1798年から1801年まで、改良された均一スタイルの軍服にされて使用されており、文書化もされている。
この第十五歩兵連隊の軍服が、特に注目の軍服として、保存されている。
プロイセン軍の、星型の黒鷲勲章付きの、ダークブルーの生地の、この上着の両側は、赤い縁取り、そしてこの箇所には柔かい銀色の刺繍と共に、銀色の七つの飾りボタンが付けられた。上着の袖口も赤で、ここにも二つの銀色の飾りボタン付き。そしてダチョウの羽飾りの付いた、黒い帽子。