ヨーハン・フリードリヒ・アウグスト・ティシュバインは、国際的に成功した肖像画家、そして、アンハルト=デッサウ公国の宮廷画家だった。彼は1796年に、プロイセンの首都ベルリンに、プロイセン国王一家の肖像制作を依頼された。
特に公女ルイーゼとフリーデリーケの肖像画を、描くために。
彼女達のその優雅さ・そしてファッショナブルな姿を描くため。
彼はイギリス絵画スタイルのモデル志向に、実質的に運命を定められていた画家だった。 味覚の時間に敏感に叙情詩調のものを、個々のものの自然さと繋ぐ事。
ティシュバインがこの肖像画契約を承知した、主な理由は、主人公の優雅な外見があると思われた。画家の奥方ゾフィーは、1796年の3月8日に、デッサウから、哲学者アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルに宛てて、こう手紙を書いている。
「ティシュバインは、長い事考え込みませんでした。この仕事を引き受ける事に。 公女達のために美しく、そして信じられない程魅力的な両方の姿でなければならないので。」
彼は胸像を塗装した後、そこで大きい絵を制作する事があった。 この王太子妃の代表的な肖像は、1797年開催の、ベルリン・アカデミーで展示された。
これは、すでにその前年の、王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムへの誕生日プレゼントとして、制作された。イギリス、フランス、ドイツの伝統からの絵の実装による制作。
敏感な古典主義。
これは、ティシュバインの芸術的な発展の、頂点の時だった。
ルィーゼのヘアスタイルは、彼女本来のものから成っていた。
アッシュブロンドの巻毛。 そしてその髪は、自然の波のように、頭の上から首や肩の上へと、落ちる。遠くの崖下の道からは、三人の軍人が馬に乗って進んでいる。
青空の平野。大木の側にある、スフィンクスの飾りが付いたバルコニー、そこで、ルイーゼは、右手に薔薇の花を持ち、立っている。そして洗練された服を、着ている。
モスリンの、半袖で床まで届く衣服。
胸の下の腹帯、指定されたチュニック、そして同じ素材から作られた、刺繍のあるシュミーズドレス。 これら二つは、フックになっている。そしてそれは着用者の動作の結果として、解決されている。
そしてルイーゼ自身が一番お気に入りの、絹のスカーフのいずれかが組み合わされて、肩と左腕に、優雅に掛けられている。
この黄色に青い刺繍のあるスカーフは、柔らかに膝下まで届いている。
編上げ靴。この時の王妃ルイーゼの履いていた靴の様式についての、雑誌 「贅沢とファッション 」1797年9月号の中での、ベルリンからの報告。
「できるだけ短く繰り上げられたスカートにより、その下から足の全体が見えている事、もう一つは、白いストッキングが入った靴が、非常に上品に見えます。」
そしてドレスの方は、1796年の、雑誌「贅沢とファッション 11月号掲載の、「半袖の白いタフタの長いチュニックの上着に、その下はリラの花の刺繍入りのノースリーブのハーフシュミーズドレス」という様式の物である事がわかる。
このように、「王妃ルイーゼとファッション」でも、すでに書いている通り、王妃ルイーゼは、日頃からフランスなどの各国のファッション誌も熱心に購読し、いつも最先端のファッションチェックに余念がなかったようです。またこの古代エジプトを、一部に取り入れたこのティシュバインの絵でもそうであるように、彼女のように、いつもその都度自ら選んだ最先端のファッションの姿で、何枚も肖像画が描かれている王妃は、珍しいのではないでしょうか?
やはり、プロイセン王妃ルイーゼは、当時のヨーロッパ各国王族女性達の中では、かなりのファッショナブルだった女性と言えそうです。
ティシュバインは、プロイセン国王一家のために、再び今度は公女ルイーゼとフリーデリーケ姉妹一緒の肖像画を、同年の1796年に制作する事になった。
彼はこの1796年の、友人で同じく画家のコドウィエツキーや、アントン・グラーフ達への手紙の中で、その肖像画制作の経過を、報告している。 しかし、その中でティシュバインは、彼がなかなか自分の思い通りの発色や着色ができず、スムーズに絵画の制作が進まない事による、公女達の苛立ちを嘆いている。 また、多くの舞踏会、祝祭、昼食など、彼女達の気を逸らすような事も多かった。
そして、公女ルイーゼとフリーデリーケ達の肖像は、これらの宮廷行事とのスケジュールの関係もあり、しばしばキャンセルされており、むしろ一般的には、この事は、この頃すっかり肖像画のモデルになるのが、嫌になっていたらしい、彼女達に拍手を持って迎えられた。
結局、このようになかなかメクレンブルク公女達の肖像画を完成させる事ができなかった、ティシュバインは、大胆かつ毅然として新たな決定として、新たにフリードリヒ大王の未亡人である、先代プロイセン王妃エリーザべト・クリスティーネの肖像画制作に、取り掛かる事にしたと書いている。
そしてその完成後には、更に王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムの肖像画制作に取り掛かる事になり、一番最初の依頼である、ルイーゼとフリーデリーケ達の肖像画の完成は、更に遅れることとなった。
彼女達のこのそれぞれ対照的な色の付いた、カラフルなサテンと、古代ギリシャ風の高い腹帯の、白いシュミーズドレス姿は、彫刻家ゴットフリート・シャドーの、これまで制作した、ルイーゼ達を含む、一連の「プリンセス集合像」から、影響を受けている。
そしてルイーゼとフリーデリーケ姉妹は、大きな木の近くにある、広いイギリス風庭園にある台座の前に、立っている。
そしてその台座には、河の神の彫刻がある。豊饒の角を持ったこの神は、この地元のシュプレー河の河神であり、この河への敬意を表現している。 ルイーゼの方は彫像に寄りかかり、そしてその姉の肩に右手を掛けて、妹フリーデリーケが寄りかかり、その左手の方は姉の片手と繋がれているという、構図である。 そしてそれぞれ、色の違うショールを、纏っている。しかし、ティシュバインは、後でこの完成作品を見た、コドウィエツキーから、彼女達の親密な姉妹の愛情の再現には成功しているにも関わらず、公女達のまるで子供のようなプロポーションが確認されるという、批判も受けている。