どうも才女揃いだったらしい姉妹達の中でも、一際高い知性と才能に恵まれた女性だったと思われる、このハノーファー選帝侯妃ゾフィー・フォン・デァ・プファルツですが。

しかし、どうもイギリスの方では、おそらくその長男ジョージ一世の不人気さ及び、後半生をアールデン城に幽閉されて終わった、その妻でゾフィーと同名の嫁の、美女ゾフィー・ドロテアに、同情が集まりやすいことがあり、あまりこのハノーファー選帝侯妃ゾフィーの方の印象は、良くないようです。

(詳しくは彼女の娘の「プロイセン王妃ゾフィー・シャルロッテ」と孫娘の「プロイセン王妃ゾフィー・ドロテア・フォン・ハノーファー」についての、記事を見てください。)

しかし、偶然見つけましたが、ついにイギリスでも、こんな内容の本が出ていたようで。それから題名の中で、彼女が冬の王女と名付けられているのは、彼女の父親のボヘミア王フリードリヒ五世が「冬の王」と呼ばれたことから、来ているのでしょう。

「Sophia Of Hanover: From Winter Princess to Heiress of Great Britain, 1630 - 1714 J. N. Duggan Peter Owen Publishers 2009」

 

 

「ゾフィー((1630―1714)ハノーファーの女性王位継承者、ジェームズ一世の孫娘そしてジョージ一世の母)は、ステュアートとハノーファーの議会の関連人物として、最も記憶されている。しかし、とりわけ、彼女は才能があり、多くの記録者であった、そして、彼女の詳細な回顧録と手紙は、我々に十六世紀の社会の最高の階層に対する、インサイダーの人生観を与える。本物のヨーロッパ人、ゾフィーは流暢に英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語とイタリア語を話した、また彼女は開放的な心を持ち、知的好奇心が強かった。そして彼女の著作は、驚くべき種類の主題を、カバーしている:宗教、哲学、国際的なゴシップ、王室のヒント、政治と彼女の家庭生活の詳細。J.N.ダガンは、現代のヨーロッパ人に知られるに値する、女性の注目に相応しい肖像を描くために、ゾフィーの伝記と何千もの手紙を翻訳した。」

この紹介文も、ちゃんと彼女の高い知性や多才さなどに注目している、総合的かつ公平な感じの捉え方という感じで、やはりゾフィー・フォン・デァ・プファルツの再評価を目的とした内容だと思います。