当時のフランスの有名な女性肖像画家エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン夫人が、亡命からの復帰時の、1801年にベルリンに、仕事のため数ヶ月滞在した。
プロイセンの王妃は、この年の11月4日に、彼女の肖像画制作を、許可した。
1802年にこの肖像画は制作完了して、ベルリンに届けられた。
そして彼女の回顧録の中で、この画家はプロイセン王妃ルイーゼについて、夢中で話している。「天上の魔法の顔なので、その慈愛と優しさに、彼女の姿の美しさ、首、腕、彼女の肌の色の、眩いばかりの瑞々しさを表現しました。最も魅惑的なものを超えた。」
そして、こう続けて言っている。
「彼女についての全ては、ほとんどの魔法を越えている。」
王妃はこの芸術的な絵の中で、最も重要な結果に向かって全ての芸術家のこの共感には、少し満足した。だが彼女のその言葉は、あまりにもお世辞が過ぎていると感じたにも、関わらず。短い鼻と上唇、長く描かれた口とのギャップ。 この肖像画は、初めはこの絵を描いたルブラン夫人の死後、サザーランド公爵ジョージ・グランヴィル・ルーソン=ゴアの所有になっていた事が、判明した。
後の二代目サザーランド公爵。
この最も熱烈なルイーゼの崇拝者の一人が、所有者となっていた。
1806年の11月に、ゴアは一家や廷臣達と共に、東プロイセンのケーニヒスベルクに逃れていた王妃ルイーゼに出会い、崇拝者となった。そして以降は、ほとんど躁病のような、彼女の肖像画の収集家となった。
1992年に、ベルリン宮殿が、スコットランドのゴルスピーにある、ゴアの居城ダンロビン城にある、彼の、ヴィジェ・ルブラン夫人が描いた王妃ルイーゼの肖像画のコレクションの中から、ロンドン芸術業界から、1801年と1802年に描かれた作品の内の、一枚の肖像画の管理権を取得した。
王妃は、ここに赤と袖が半透明の衣装を、着ている。その肩越しに、フックとループによって装着する事ができる。
金色の刺繍の袖とネックラインとシンプルな真珠のネックレスの装飾、そして更に華やかな革のベルトと金色の王冠を、油絵で装飾されている。そして精巧に編んだ髪、顔と首を越えた大部分を引きつけ、髪を結い上げて作った、王冠で包んでいる。
これは、パリの美容院で使われていた髪型であり、1803年のフランス刊行の、「雑誌 女性とファッション 25号」にも、掲載されている。頭頂をアップにしてボリュームをもたせ、また頭の後ろの方も、結い上げている。